見た事がない世界を見てみたいから

先日、コンサル生から「なんでそんなに頑張れるんですか?」というような内容の質問を頂きました。 頑張っているという意識は特にないのですが、やらなきゃいけない事、やりたい事が多くそれで1日が終わっていくという感じで、なんでとストレートに聞かれると難しいのですが、一言で表すと少しカッコつけた感じになってしまいますが「見た事がない世界を見てみたいから」という言葉になるのかなと思い、そんな感じで回答させてもらいました。 というのも、物心付いて、小学校、中学校、高校、大学、会計士とその時々新鮮で新しい事があり、大変な事も当然ありますが、基本的には自分が進みたいという思いで進み、やる気に満ちていた気がします。 しかし、歳を重ねるに連れ、色んな意味で勝手が分かり、刺激はなくなってきます。 必死に生きたりしなくても、生活は出来、自分が満足いく事、いかない事も分かっていくので、満足いく事を中心に行い、イレギュラーな事は避けていく術も身につきます。 そうなると、安定感があり、世間一般で言う落ち着いた大人という感じになるのだと思いますが、 これだと本人は非常につまらないという事です。 どう生きたって人生1度切りで、同じ事をやり、同じ景色を見て、同じ人たちと連るみという事をやると人生劇的につまらなくなると考えているからです。 それだったら、違う世界を見て、違う刺激を受け、自己成長をしている方が私としては心地いいのです。 物理的な景色だけでなく、物事の感じ方も含め、頑張っている人しか見れない景色は常にあると思っており、 例えば、独立して自分1人でビジネスをしていくという景色はサラリーマンだと想像出来ても真には分からないと思います。 独立すると、自分で稼いでいかないければいけないという事実は当然ありますが、自分が如何に自由かという事にも気づきます。 何をやってもいいし、どこに暮らしてもいいし、どんな人と付き合ってもいいわけです。 ただ、自由ですが、やれる事、暮らせる場所、付き合える人などは現在のレベルにほぼ比例する事に気付きます。 何にも縛られず選べる環境があるのに、自分の実力がない事で選べない選択肢というものが数多くあり、その選べない選択肢ほど魅力的だったりします。 そのため、実力を付けそれらを選択する事でそこからの景色を見てみたい(自分がどう感じるかなど)というのが、頑張る原動力のような気がします。 その根底には、上述の通り人生1度切りという思いが強く、歳を取った時にあの時こうしておけばよかったなとという後悔はしないように生きたいという思いがあります。 どう生きたって、自由ですが、それであれば後悔しないように生きたく、新しい事などをやる時は常にまだ早いという考えが頭をよぎりますが、もう遅いという感じで選択出来なくなってしまうのであれば、まだ早いぐらいの時にやってしまって、ダメなら再チャレンジするぐらいでよいと思っています。 けれど、通常自分がやった事ない事はまだ早いと思いがちですが、そういうような考えが浮かび実行出来る環境の時は大体機が熟しているタイミングだと考える次第です。
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