昨日30代、40代で貯金がゼロの人が一定数いるというような記事を書きました。
ただ、当然ですが幸せの尺度は人それぞれなので当該貯金額と幸福度は必ずしも比例関係ではありません。
お金があっても不幸せと感じている人はいるでしょうし、お金がなくても幸福だと感じている人もいると思います。
この違いは何から生じているかというと、個人的には自分の幸せの尺度を明確に出来ているかだと考えます。
お金がなくても幸福だと感じている人は、自分が何に幸せを感じているかが分かっているのでそう感じられており、お金があっても不幸せと感じている人は何が自分にとって幸せかが不明確なのでそう感じてしまうという訳です。
例えば、私の中での幸せの基準は、「時間」です。
お金はなくなっても、また稼ぐ事は可能ですが、過ぎた時間を再度過ごすという事は100%出来ません。
また人は必ず年を取ります。
今当たり前に出来るような事が将来年を取れば難しくなる事も多くなります。
どんなに努力しても、取り戻す事が出来ないのが時間なので、私の中ではこの時間というのが最も尊いものだと考えています。
そのため、晴れて天気のいい日に薄暗い会議室でPCをパチパチ叩いたり、上司の雑談に付き合っているというサラリーマン時代は、私の中ではもの凄く違和感を感じており、入社してすぐにここは自分のいるところではないと感じていました。
1秒たりとも自分のやりたくない事はしたくないですし、付き合いたくない人とは付き合いたくない訳です。
これは、私の中では幸福度が下がる事だからです。
そう考えると、資産を築いてそのお金に働いてもらってその運用益で生活するというのが理想形になります。
ゆえに、お金を稼ぐ事が自分の幸福に繋がるので頑張ります。
が、家賃などの固定費を上げる事は、運用に回す資産が減るという事を意味するので、私の中では幸福度が下がる事になります。
というように、自分にとって何が幸福かという事をある程度明確に出来ると行動指針も決まります。
そして、基準を自分の中に置く事で、周囲の雑音が気にならなくなり、より頑張る事が出来たりするものです。
さらに言うと、その基準も出来るだけ高く設定する事がお勧めです。
目標とする基準が高いほどより大変な事を努力で遂行していく必要がありますが、これをする事によりちょっとした厳しい事を厳しいと感じなくなりますし、厳しい環境に身を置く事になるので、ちょっとした楽しさが物凄く楽しく感じられるからです。
又、変化が激しい世の中なので、その基準を低く設定しまうとどんどん落ちていってしまう危険もあるからです。
年を重ねるに連れこれまでの経験でその先の人生を予測し、自分はこんなものかとある程度のところで満足しがちですが、1年あれば人生なんてガラッと変えられるので、自分の中で基準を明確にし、その基準に沿って行動指針を決定し、どんどん遂行していきましょう。